亡くなった夫に会いたい…死んだ人に会う方法

2013年、世界一愛する夫と死別。夢でもいい、霊でもいい。幻覚でもいい。何としてでも夫に会いたい。30歳未亡人のブログ。

「うちではもう看られない」と義母が言われ夫は希望をなくした

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結婚後、わたしたち夫婦は夫の実家兼職場の通勤圏内のマンションに住んでいたが
夫の病状の悪化により約1年前の2013年3月下旬から夫の両親と同居していた。
同時にがん研有明病院より、がんセンター東病院へ転院した。
毎週の通院・診察、わたしたち夫婦はいつも一緒だった。

朝イチで血液採取をし、1時間後くらいに血液検査の結果をもらい主治医に説明を受けたあと
合計4時間にものぼる3種類の抗がん剤の治療を受ける。
抗がん剤の点滴をうけながら、いろいろ話したり、夫がうとうとし始めたら
となりで読書をしたり。これはこれで幸せだった。


途中で主治医が変わるというトラブルがあったが
(主治医の職場復帰は難しいという看護師さんの言葉から、事故か病気にあわれたのだと思います)
私は夫の意思・希望を理解することに努めて、診察時はフォローを入れるよう心がけた。
診察時に十分に話し合っていたので、
新しい主治医にも夫の意思が伝わっているものだと思っていた。

「今後どんなことがあっても入院はしない。
 病院の管に繋がれながら死んでいくのはごめんだ。
 最期のその瞬間まで、マホさんと一緒のベッドで眠るんだ。」

訪問医療の話も同時進行で進めていくことにした。

入院

しかし6月には、痛みのコントロールのため一時的に入院することになった。

義母が「(息子)がこんなに痛がっているのはおかしい!もう見ていられない!」
歯科医師免許をもっている口腔外科医の長男(夫の兄であり私からみた義兄)
に相談したことが事の発端だ。

義兄と新しい主治医が、私たちが知らないところで話し合い
入院を決めてしまったのだった。

痛みに関しては がん研有明病院よりもしっかりと薬を出してくれたので
夫本人の言うとおり、確実に以前よりずっと緩和しているように見えた。
一方で、義母は転院前の痛みが最も強かった時期は同居しておらず
間近でみていていたわけではないので、びっくりしたのだと思う。

後に訂正したが「うちではもう看られない」と義母が言ったことには
私も驚愕したが、当然夫はそれ以上のショックを受けていた。

突発的に口から出てしまった言葉であっても、言ってしまったことは取り消せないのだから
感情的になりやすい場面程、発言には気をつけなきゃいけないのに。

私は夫を守るために、義兄に抗議しました。
体調が悪く喋ることすら疲れてしまう状態、さらに夫と義兄は元々考えが合わないらしく
話すことがストレスになるという夫に代わって
義兄からの電話に出た…

素人のくせにネットで調べて余計な情報を持ち込まれてみんなが迷惑している!
うちの大学病院では、病気のことに関しては患者はネットや本で調べないよう指導している。
素人である患者は、専門家である医師の言うことだけに従えばいい。
何年にもわたって専門的な勉強をし、実際何人もの患者を診てきた医師と
情報不確かなネットの情報や、信憑性のない本を読んだだけの
素人と、どっちの意見が重要かは明白だろう。素人は黙っていてほしい。

と罵倒されただけだった。入院は覆らなかった。

主治医と進めていた訪問医療の準備も、義母と義兄の
「自宅で歯科医院を営んでいるため、訪問医療関係者が自宅に出入りすると
 うちの患者さんに良く思われない」
「常識的に訪問医療なんて意味が無い。入院するべきだ。これは専門家である俺の意見」
という口腔外科医()である義兄の意見によって、
全て白紙にもどってしまった。

「みんなひどいよ。ようちゃん本人の意見よりも、世間体やプライドを重視するんだね。」
「うん、もう仕方ないよ…。
 今思えば小さい頃から自己主張してこなかった自分も悪いかもしれない」

と夫はあきらめた様子だった。

"何があっても入院だけはしたくない"という夫自身の意思を、
夫の血の繋がった家族は誰一人として尊重してくれなかったことは本当に悲しかった。

夫がひとりでトイレにこもって、叫ぶように泣いていた声が
今も耳から離れない。




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