夫は呼吸が止まって死んでしまった-そして私は30歳で未亡人になった
2013年7月某日、午前5時過ぎのことだった。呼吸の回数が減っていた夫が、遂に息をし
なくなってしまった。40歳だった。がんセンター東病院の緩和病棟にて。
入籍3ヶ月後に喉頭がんが発覚してからというもの
「痛くて辛いけど、マホさんが泣いてるのを見るほうが辛いよ。泣かないで。」
と、夫から言われるほど涙を流すことが多かったというのに夫の死の瞬間は不思議と涙
は出なかった。
悲しみの極値を超えたときの人間の防御反応なのか脳が停止するように感情が遮断され
たかのように。
夫の父、兄、妹と続々と家族が集まってきた。みんな涙を流していました。
なんでみんな泣いているのかが、わたしには理解できなかった。だって、覚悟はしてい
たでしょう?せん妄という症状が出たとき主治医から
「あと1週間くらいです。覚悟して下さい。」
と言われたはず。呼吸の頻度も格段に下がっていた。痛み止めも、モルヒネとケタミン
を15分起きに投与していた。夫が身体を動かしたとき、痛がってると判断した義母がナ
ースコールを押して。次々と投与。
麻薬で眠っている時間の方が長かったのです。
眠っている最中に時々痰が絡む。放射線で治療した際の影響で唾液の粘度が格段に上が
って絡むようでした。しかしその痰は、モルヒネの作用で意識朦朧とし自力で出せなく
なっていました。痰を出す動作も苦しく、身体の負担になるけれど吸引もかなり辛い。
だから夫はほとんど吸引をしなかった。
徐々に呼吸の頻度が下がってきていた。次の息は吸わないかもしれない。1分くらいかな、
息を吐いた後に再度息を吸うまでの時間が長く感じた。
ついに次の瞬間、息を吸わなくなった。
息が止まってから、すぐにナースコールを押して看護師を呼ぶ。そして看護師さんに痰
を吸引してもらう。黄色い内容物がどんどん吸い出されました。
もうずいぶん長い間吸引しているのに終わらない。夫は息をしていない。息を吹き返す
様子もないので吸引を中止することにした。まだ黄色いものが、まだたくさん詰まって
るようでした。
夫は苦痛から開放され、穏やかな表情をしていました。